例え話

自戒を込めて、例え話の中身について意識的になろうと思った。

経済関連の入門書の中で、イチローと草野球という話があった。私は野球ファンで、イチローも野球のポジションも知識としてある。筆者としても、これが皆に伝わる話として書いているのだろう。

しかし、野球が誰しも知っているものだという認識は今や誤ったものである。誰しも知っている流行歌が少なくなっているように、現代でスポーツにおいて絶対的な価値を野球は持っていない。野球のルールを知らなければ、イチローやメジャーも知らない人も多数いるのである。

例え話で全く知らない話をするというのは致命的で、ウガンダの話をウルグアイで例えられても一般的に理解できないわけである。

上に書いた通り私は野球ファンである以上、野球の例え話に何の抵抗もないし、例え話として分かりやすい。そのぶん、その点について意識的になりにくいという側面がある。

従来のように野球の例え話でいいやとしていたら、上の世代にはついていけても、気が付くと後ろには誰もいないということになりかねない。

ではどういうもので例えるかと言えばすっと出てこないが、積極的に見ようとしなければならないスポーツや娯楽ではなく、普段受動的に目に入るもので例えるべきであろう。