「上手くいき出せば手のひら返す」

森本稀哲さんのツイートにぶら下がってるコメントについておもったこと。

“真のファン”の方々は、新庄の評価について「上手くいき出せばどうせアンチどもは手のひら返す」などと言いますが、それはあまり正しい理解では無いのではないかと思った。というのも、かく言う私が「新庄アンチ」に類するものであるからである。私は元々なんとなくだが日ハムが好きではなく、中田翔やら西川遥輝の件でより一層嫌いになった。球団の無責任さ、選手やファンに対する思いやりの無さ、それを隠そうともしない姿勢。さっさと別の球団になって欲しいと思うくらいである。そんな中新庄が監督になり、日ハムの報道が過熱した。知らないことが格好良いと勘違いしている中学生みたいな姿勢や、随所に見られるヨイショ、BIGBOSSとかいう変な名前といい、嫌いなところ満載だからである。

そんな「アンチ」の私に言わせれば、勝ったところで手のひらを返すわけがない。何故か。嫌いだからである。贔屓球団の選手を悪くいい、後に活躍したら手のひらは返す。だが、嫌いな他球団の監督が勝ったところで賞賛する気には一切ならない。関心を持たなくなるか、何も言わなくなるだけである。「結果で黙らせる」とはそういうことで、結果でファンになるような人は極小数なのである。

少し話が大きくなるが、この頃のネット社会において主語が大きくなることがよくある。また、黙っている人間というものの存在を認識せず、常に声を発している人が一定であると思っているフシがある。

「上手くいき出せば手のひら返す」というのもその風潮にもれることがない。現実には、上手くいった時にはそれまで黙っていた肯定派または中立が声をあげ、失敗している時には肯定派の声は小さくなり、否定派が声を大にするというだけなのである。

余談だが、森本稀哲さんのツイートはしんどい。そんなこと言う人と思っていなかったし、抽象的であるという非難を何ら具体性なくしているのがしんどい。立場上具体的な記事を出せないならそんなこと言ってんなよって思う。変な企画が多いので栗山以来ひちょりズムは見ていないが、そこそこ好きだったので残念。